寄稿「定年後10年」 照沼 捷(昭45短機)(支部会報第43号より)

照沼 捷(昭45短機)

 私は10年前に40年余の会社員生活に終止符を打ちました。
東京オリンピックが開催された年の昭和39年3月に水戸工業高校を卒業し、当時の「原子燃料公社(後の動力炉・核燃料開発事業団)」に入社しました。
 入社後は職場の先輩の勧めもあって茨城大学工業短期大学部に通って昭和45年に卒業しました。定年を迎えた平成21年の春からはいわゆる第2の人生を歩み始めて現在に至っています。

地域との関わり
 定年後は半年位、自宅の片付け、身辺整理等を行いながら適度な運動をして過ごそうと漠然と考えていたある日、近隣の地区の役員の方から「区の運営を手伝ってくれないか」との声が掛かり「1年でも良いから協力してくれたら有難い」との甘言に乗った?のが、地域社会との関わりの始めでした。
 当時、自治体は従来の上意下達の区長制度から住民の自主性を重視する自治会制度への切り替えを提案していた時期でもありました。
 従来に増して地域社会を自主的に運営して行く為の自治組織を確立しようとの動きでした。地域活動がより身近に展開できるよう工夫がされた訳です。やがて自治会規約の整備、新規の会員拡大に奔走する等多忙を極めた想い出が有ります。結局、私はその当時から7年間、自治会活動に身を置くことになりました。
 昨今、自治会加入者の減少、更には脱会者が増えているなど、自治会役員は運営に少なからず苦慮しているかと思われますが、私が活動する上で課題解決のために心掛けてきた事を以下に記します。
 ごく基本的な事ですが、①まず自分から積極的に動く、先頭に立って動かないと会員は協力してくれない訳です。②「お知らせ」等の回覧を積極的に活用して情報共有をはかる、例えば行事開催時には案内の回覧だけに留まらず、事後に経過等を速報する事が大切になると思います。些細なことですが地域活動において一助となれば幸いです。

整体技法を学ぶ
 前述のとおり退職後は主に自治会活動に精を出して来ましたが、定年直後は未だ就業への意欲も持ち合わせていたので、ハローワークへも通いました。一般の産業でも良いから就職口が有れば挑戦してみようとも考えていました。が、当時は60半ばを過ぎると再就職への道程は厳しいものがあり、心当たりの企業に履歴書を送付してはみるが、なかなか面接までには辿り着かないことを経験しました。
 そんな折「カイロプラクティク」と書いてあるチラシを目にしました。当初は懐炉を使う温熱療法かと思いつつ、興味本位でその団体が主催する1日セミナーに参加ました。カイロプラクティクとは所謂、手技療法で手掌を使って骨格の歪みを矯正する民間療法の一つです。
 当日は片方の足が殆ど挙がらない人が参加していました。先生とおぼしき方が、その人の下肢、骨盤を調整したところ、ピョンと足が普通に上がったのでした。まるでマジックを見ている様な衝撃を今でも記憶しています。その後私は一連のセミナーを受講しカイロプラクターの資格を得ました。腰痛や肩痛に悩む人々をこれからも支援して行きたいと思っています。

地域の一防災士として
 近年、全国各地で自然災害が発生し多くの犠牲者を生んでいます。私達の身近で起こり得る自然災害に対し積極的に行動したい、このことは自治会内に創設された自主防災会を運営している時から感じていました。たまたま防災講演会等に参加している中で「防災士」の存在、被災地での活躍振りを知りました。防災に関してもう少し専門的な知識を得たいと願い、防災士の資格を取った訳です。
 防災士は、NPO法人日本防災士機構が認証する資格で、防災意識の啓発や被災地での自助・共助活動の訓練等を通じて災害時の被害拡大の軽減、被災者の救助支援等、防災力を高める活動が求められています。
現在、茨城県内には三千余名の防災士が活躍しています。地域防災の必要性が求められている中で、今後とも地域における防災士の活躍が大いに期待されることになるだろうと思います。幸い昨年、市役所主導で「防災士の会」が発足しました。これからも一会員として地域の防災・減災に協力して行きたいと思います。

おわりに
 先にハローワークに通って再就職口を探した件を記述しましたが、定年前の40年間、私は原子力関係の業務に携わっていました。実はここで培った技術、知識は思いも寄らず、福島原発の事故後の除染作業従事者の特別教育に資することが出来ました。
 福島県内に於いてまだ続いている放射能除染作業等、今後とも放射線教育受託会社から特別教育の要請があれば進んで協力していく予定です。

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