藤岡 晃喜様を偲ぶ(支部会報第47号より)

吉田 一廣(昭34学機)

もう10数年前になるが、初めて元気会に出席したとき、山本杢兵衛名誉支部長、大津圭三郎氏、大津明定氏他のそうそうたる大先輩諸氏の揃う中、空席がなく戸惑っていたら、自らの隣に椅子を運びこみ着席をすすめてくれたのが藤岡さんでした。爾来、この座席関係は変わらず続きました。会の開催日には必ず笑顔で「今月も元気でいきましょう」と挨拶を交わして1日が始まったものです。

年齢は私より3年上でしたが昭和前期の同世代、戦前・戦後を体験した同志、時代感覚も共通するなど諸事の価値観がほぼ一緒なことから親しく交流させていただきました。そのようにして気が付いたのは、ものごとに対して鷹揚で、話をしていて包容力を感ずることでした。崇敬を覚える人柄でした。

専門は電気工学科卒ですから当然に電気ですが内容はITなど情報通信技術のエキスパートです。最近はAIに関心を向けていてご自宅にミニAIロボットを備えていて活用の有効事例をよく教示してくれました

現役時は、郵政省の日本電電公社(現在のNTT)の工事部門所属の情報電子技術者でした。直属の部長は、同窓の大先輩、当支部を創設した山本杢兵衛氏でした。この頃、既に人格者でまた卓越した経営手腕を知られていた氏の薫陶を充分に受けていたことは想像に難くありません。その藤岡さんを山本氏は生前「彼の報告や意見を述べさせると、答えは一つだけでなく、事態を想定して複数の答を出してくる。だから上司として状況がよくわかるんだ」と語っていたことがありました。同窓の後輩としてではなく部下としての実務を評価し、信頼していたことが窺えます。

確かに、元気会においても議論になった場合、藤岡さんに見解を求めた答えは良識的な複数の解決策を出され、どんな場面でも決していさかいしなかったことを思い出します。このことは、常日頃、立場の違いがあっても相互の納得で物事をまとめられる豊かな理性をもつ立派な人だったと、崇敬を深める思いです。

それから藤岡さんの行動についても同様です。当支部の総会や元気会の種々の行事にあって、山本名誉支部長の身辺に常に気を配っていました。かつて、鉄人のように活動した山本氏も晩年体調に衰えを見せるようになり、頑張って参加されますが、その時には常に傍らに添い、また離れていても山本氏から目を離さないで安全に気を遣っていました。

藤岡さんは山本氏の性癖・ものの考え方などなど、よく理解していたのだと思います。また同様に山本氏も藤岡さんを信頼していた証でしょう。今も目前に情景が浮かびます。

ここまでは硬いイメージを想像させますが、さにあらず、なかなかの文化人で風情豊かなエッセイストでもありました。現役当事の体験や、異業種仲間との交流に基づくウイットに富んだエッセイを数々残しています。特に「電話今昔」は明治期の電話設備導入から今日までの世相を語る名作で一読の価値があります。それから「元気会」創設の思いを込めた理念を表明しています。その一部を以下に抜粋します。

元気会は日常のストレスを、ボヤイて・愚痴って・嘆いて解消しようと、毎月1回開かれる。メンバーは多様な同窓の企業OBの集まりで、広く雑多の話題が扱われる。お互いに体験話などで情報交換をしながら知識と知恵を得て、楽しく笑い飛ばしてストレスの発散をしている。健康の維持には異口同音に「怠らず手入れ・点検・修理をしながらいつまでもボケないで入院することなく、人は独りであることを知って独りに慣れ、自分のことは自分で護る以外手立てがないことを心得て、死ぬまで元気で丈夫で長持ちさせることである。」

残念ながらこの偉大な先達の藤岡さんは長らくの闘病に力尽き、帰らぬ旅に立ちました。

パソコンにかけては知らぬことがないほどの名手で、よく教えていただきました。あの穏やかな微笑が今さらのように懐かしく思います。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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