寄稿 「凡人の人生」(支部会報第47号より)

栗田 栄 (昭53学子)

 私は茨城県の勝田市に生まれ、その後ほとんど県外に出たことがなく、現在でも合併後のひたちなか市に住んでいる人間です。今回、工学部からの人生を振り返ってみました。

【工学部での生活】

 自宅から電車通学をしていたため、空き時間はサークル部室で過ごしました。当時、食堂と校舎の間の中庭にあったと思います。星を観察する天文班他、複数班のあるサークルでしたが、活動は水戸本部と合同で行ない、山での活動(実際にはキャンプ)では山頂付近で夜間雷雨に見舞われ、大変な思いをしたこともありましたが、今では楽しい思い出になっています。
 私がいた電子科ではソフトボール等のレクリエーション、他校サークルとの交流会が行われ、学生間のコミュニケーションは良かったのではないかと思います。
 3年生後半からと思いましたが、研究室選択の時期となりました。当時はレーザー研、半導体研、回路Ⅰ研(アナログ)、回路Ⅱ研(ディジタル)等がありました。(他にもあったかもしれません)
 私は出来の悪い学生だったので悩んだのですが、たまたまトランジスタ回路の試験結果が良かったことから、単純に回路Ⅰ研を希望して入りました。
 どの研究室も同じと思いますが、先生方は個性がありながらも自由な雰囲気の中で指導してくださいました。私は院生の方の研究のサポートをすることになり、アクティブフィルタなるものの研究を行いました。私が担当したのは地道な作業でしたが、先生、院生の方と共に充実した時間を過ごしました。
 さて、いよいよ就職活動の時期となりましたが、なかなか自分の希望に合うところがありませんでした。困って先生に相談すると、知っているところを紹介してやると言って頂き、受験しました。受験した会社での面接では、適性試験の結果がとても良いが本当かと言われ、学力試験の結果についてはあまり触れられませんでした。良くなかったのでしょう。
 無事合格し、今の自分があるわけで先生方には本当に感謝です。 【会社での生活】 入社する時に配属希望を問われ、以前から関心を持っていた原子力関係に携わりたいと申し出たところ、発電所の制御盤関係の部署に配属されました。今思い返してみると、先進分野ではないですが、自分に合った地道な分野であったと思います。

【会社での生活】

 入社する時に配属希望を問われ、以前から関心を持っていた原子力関係に携わりたいと申し出たところ、発電所の制御盤関係の部署に配属されました。今思い返してみると、先進分野ではないですが、自分に合った地道な分野であったと思います。
 コマーシャルで「24時間働けますか」というフレーズがありましたが、当時は本当にそれに近い生活が続き、おかげ様で体調不良によりタバコを簡単に止めることができました。
 38年の間に苦しい時期が何回もありました。後ろ向きの考えですが、時間が解決すると思うことで精神的に耐えることが出来たように思います。社会の好不況の状況に合わせて、発電分野以外に鉄道、防衛分野等にも取り組み、様々な人達に助けられて、インフラ整備に少しでも寄与できたことは幸せなことでした。

      森高千里の渡良瀬橋を望む
【定年後の生活】

 会社では主として制御関係の図面を描いていましたが、恥ずかしながら実際の制御盤や機器を自分で動かすことがなかったため、定年後は運転、保守に関わる仕事に就くことにしました。
 収入は激減ですが、自由時間は増えたので、業務上必須となる電気関係や冷暖房関係の資格を1年に1つ取得することを目標にして四苦八苦しているところです。試験場で若い人に混じり、白髪頭が頭を抱えているのは少し恥ずかしいことです。
 私は趣味のない人間なのですが、時間が少しできたので若い時に禁止された二輪の免許を取り、さらに最近大型二輪を取りました。
 バランス感覚が落ちた私ですが、教官に励まされ合格できたことは、為せば成ると自信がつきました。安全に気をつけて楽しんでいきたいと思います。
 シニア世代で60歳代はまだ若造なので、今後も目標を持って元気を出して暮らしていきたいと思っています。


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