寄稿 富士登山-67才の挑戦-(支部会報第45号より)

寄稿 富士登山-67才の挑戦-

加原 俊樹(昭46院化)

【富士登山の動機】

私は登山が好きで、学生時代や社会人になってからも結婚するまでは北アルプスと中央アルプスに好んで良く出掛けていた。富士山は遠くから眺める山だと思っていたので、登りたいという気持ちはほとんど湧かなかった。しかし、65才で会社生活を終え、気ままな日々を送っていた時、富士山の落石事故の記事が目に入った。この記事と世界遺産に登録されたことがきっかけで、富士山に登って見たい気持ちが湧き上がった。2013年夏に娘婿と2人で、67才の歳を忘れて登山することにした。

【登山の前に】

富士山登山には2つのルートがあるが、山梨県側の富士吉田登山ルートにした。初日は新宿駅から高速バスで河口湖駅に向かい、昼過ぎに到着した。早速レンタカーで、あらかじめ調べておいた「ほうとう」の評判店に向かい、初めて、信玄公が好んだという「ほうとう」を食し、味は格別であった。その後、河口湖畔の宿に入るまで、近くの名所や、富士山が良く見える河口湖畔のスポットや西湖を巡った。

【登山第1日目】

翌朝、河口湖駅から登山バスに乗り、富士山五合目の終点に9時頃到着した。ここからがいよいよ登山開始である。六合目の手前で入山届を済ませた。六合目まではそれほど険しい所はなく、快調に登って行った。当日は晴天に恵まれ、眼下の景色は遮るものもなく、絶景であった。しばらくすると登山道は次第に急峻になり、足場も岩を越えねばならず、息も荒くなってきた。麓から眺める富士山はスロープのある緩やかな山に見えるが、実際には険しい岩道であった。若い頃から登山をしてきたお陰で、ペースは遅いが着実に登って行くことが出来た。富士山の登山で一番感心したのは、世界遺産の登録条件に水洗トイレを設置することがあったそうで、途中の登山道脇や岩陰で用を足すことが禁止されていることであった。登山道の休憩小屋や山小屋には有料の水洗トイレがあり、ここで皆が用を足していた。水洗トイレで使用する水は非常に貴重なため、循環して使用するとのことであり、真っ黒な水であった。 ただし、匂いは一切なかった。

幸いなことに、私は高山病を知らない。しかし、一緒に登った娘婿は気の毒なことに高山病になり、頭痛を訴えていた。八合目の山小屋に宿泊し、翌朝御来光を見ることにした。山小屋で夕食のカレーを食べ、いざ寝床に入ったところ、隣の人と肩が触れ合う窮屈さであり、寝返りはほとんど不可能であった。しかし、昼間の疲れもあり、すぐに寝付くことができた。

【登山第2日目】

翌早朝、暗いうちに山小屋を出て頂上を目指した。九合目を過ぎた辺りから雨が降り出し、風も強くなってきた。雨は上から降るのでなく、下から吹き上げるような降り方であった。雨具を付け、さらに防寒用のセーターを着ていたが、頂上に着くと寒くて大変であった。下界は真夏というのに山頂は真冬の様であった。風雨を遮る物もなく、山頂の山小屋の軒下で、震えながらひたすら御来光を待った。午前5時頃、雨雲の隙間からほんの一瞬であったが、御来光を見ることが出来た。苦労して待ったため、非常に神々しい感じがし、感動したのを今でも覚えている。風雨がさらに激しくなったので、早々に下山することにした。下山道は登りとは異なり、細かい火山岩で出来ており、足元がズルズル滑り、非常に歩きにくかった。また、七合目付近までは雨と霧のため見通しが悪く、非常に危険であった。

【下山後に】

雨の中をやっとの思いで下山し、五合目のバス停に到着した時はホッとした。

その後、河口湖駅近くの温泉につかった時、富士登山を無事に終えた満足感が湧いてきた。ただ、風雨が無ければ、頂上からの御来光や景観をもっと楽しむことが出来たのにという残念な思いもあった。しかし、無事我が家に帰り着き、ビールを一杯飲んだ時、全てが満足感に変わった。

やっと見えた御来光

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