幹事長 古平 恒夫(昭41学金)
平成30年6月17日(日)10時30分より三の丸ホテル(水戸市)において、第42回支部総会が40名の参加者により開催されました。ご来賓に杉田龍二多賀工業会会長、馬場充多賀工業会前名誉会長、白石道彦埼玉支部副支部長、磯部亮東京支部幹事、川浪英靖鹿行支部長、佐藤幸利いわき支部副支部長、森俊郎日立総合支部副支部長の各氏をお迎えしました。また、今回は女性会員の初参加も含め、平成卒の若手会員の多数参加により活気溢れる総会となりました。
[議事]物故者への黙禱の後、来賓紹介、飯田陽久支部長・杉田多賀工業会会長・馬場前名誉会長の挨拶を経て議事に入りました。上程された①平成29年度事業報告 ②会計収支報告 ③会計予算④平成30年度事業計画 ⑤収支予算 ⑥会則改訂の6議案は全て原案通り満場一致で承認されました。
[特別講演]は、茨城大学全学教育機構、学術博士、清水恵美子准教授が「岡倉天心の五浦時代」と題し最新の研究成果を交え講演されました。
講演概要は右記の通りです。
[懇親会]出席者全員で恒例の記念撮影を行い、懇親会に進みました。冒頭、飯田支部長の歓迎挨拶があり、最年長の宮崎会員の乾杯を経て宴に入り、和気あいあい懇談しました。その中で、ご来賓各位からの支部活動紹介スピーチ、さらに出席者有志によるユーモア溢れる挨拶がなされ、和やかな雰囲気で会が進行しました。
昨年に引き続き、余興として茨城大学中南米音楽研究会によるフォルクローレ音楽が演奏され、懇親会は大いに盛り上がりました。最後に、全員で校歌を斉唱し、岡野顧問による中締めがあり、盛会裏に総会を締めくくることができました。
特別講演(概要) 「岡倉天心の五浦時代」
【岡倉天心とは】冒頭、清水先生は「岡倉天心を思想家・文人であって画家ではありません。近代日本における美術史家、評論家であり、美術家を養成し、啓蒙家でもありました。巷間、五浦を隠棲地、五浦時代を孤独な晩年とするイメージがありますが、そうではありません」と語り始めました。
【岡倉晩年の10年間「五浦時代」】
天心は明治37年(1904年)からボストン美術館勤務を開始、アジア美術紹介の場とし、明治38年に六角堂を造立、五浦に転居、明治39年「茶の本」をニューヨークで出版、同年、横山大観・菱田春草・下村観山・木村武山が五浦に転居、明治40年には第1回文部省美術展覧会に五浦から画家たちが作品を出品し注目されました。明治41年になると春草(目の治療)、大観(邸宅失火)が五浦を去り、大正2年(1913年)岡倉天心逝去、50歳。換言すれば「五浦時代」は「ボストン時代」でもあります。
【岡倉の思想と空間デザイン】
岡倉はアジアにおける芸術と宗教の連関(日本、中国、インド)を深く思索し、3つの建築様式とアジアの思想が複合した六角堂を建築しました。その特徴から①「亭子」、「草堂」、②「仏堂」、③「茶室」の性格を有しています。
【日本美術院と地域との関係】
「単なる日本の五浦にあらずして実に東洋の五浦として世界の注目を惹くに至るべし」と地元紙に歓迎記事が載る中、天心らは画業に専念、地元との交流にも努めています。絵画展覧会、観月園遊会を開催し、銀行・新聞社からの支援も受けています。最後に、清水先生は「日本美術院の大いなる成果の陰に地域のサポートがあり、「五浦時代」は五浦とボストンを拠点に国際的に活躍した充実した晩年といえます」と結ばれました。
特別講演に先立ち、茨城県天心記念美術館関弘和館長、永宮勤士主任学芸員のお計らいによりDVD「岡倉天心の五浦時代―晩年の天心」を上映致しました。ここに記し感謝申しあげます。