大髙 格(昭35短機)

【応募のきっかけ】
私は「ボランティアは経験や特技を生かした奉仕活動である」と思っている。そこで私が参加した2002年の日韓共同開催W杯でのボランティアの経験について紹介したい。
現役時に韓国・米国・ドイツ等からの技術実習生の指導を数多くしていた経験があったので、韓国語、英語の会話もある程度こなすことができた。そこでW杯ボランティアに応募することにした。結果は見事採用。本番までに色々な教育を受けなければならなかった。その中には「日韓親善ユースサッカーへのサポーター」という模擬訓練のようなものもあった。
【本番以上の思い出になった日韓ユースサッカー】
W杯(02年)の前年12月21~23日に行われた日韓のU17大会で、私は韓国チームと行動を共にする語学ボランティアという重要な役割を担った。
成田空港への出迎えから始って、橋本県知事(当時)への表敬訪問同行、ホテルでの歓迎レセプションなどで初日を終わった。翌日はいよいよ親善試合である。韓国代表の鶴城(ハクソン)高校と本県代表との対戦である。
鹿島サッカースタジアムに到着すると、大画面に「鶴城高校歓迎」の大きな文字がくっきりと映し出されていた。両国国歌演奏と記念品交換が行われ、試合が開始された。私は韓国チームの監督とともに左右に駆け回り、何か事あれば通訳をしてとっさの対応をとる役割を担った。試合中にはベンチで待機中の選手の靴のスパイクが外れてしまい、それを修理するために工具を探しに右往左往したこともあった。
試合の後にアントラーズのクラブハウスを見学している時、韓国チームの主将が一人の美少女を見つけて「あの子と一緒に写真を撮りたい」と言いだした。「通訳さん頼む」とせがまれ、止む無くその少女に訳を話して応じて貰った。
後日談であるが、その少女はゆくりなくも私のかつての上司のお孫さんであることが分かって、久し振りに上司との再会を果たすというおまけまで付いた。
帰国日には、やはり成田まで同行した。そこで家族や友達へのお土産の購入を手伝った。高校生達は出国の直前に私を囲んでパチパチと記念写真を撮り始めた。私はみんなを見送り「この機会に日本を好きになってくれたに違いない」と思いながら成田を後にした。
【いよいよ本番が開始された】
02年6月2、5、8日が本番である。3日ともに青空の下、初夏の太陽が眩しかった。
事前に配布されたユニフォームを着け、帽子をかぶり、胸には「STAFF」のプレートを付けた。
私の役割はスタジアム入り口近くに設置された「ワイワイ交流広場」の整備・誘導案内であった。いつもはテレビでしか見られない有名選手の姿を間近に見られたことにも「さすがW杯」を実感した。
観客は朝早くから詰めかけ、応援の予行演習を開始する。午後からの試合開始前にはそれこそ津波のように大群衆が押しかけて来た。両国の国旗、カラフルな民族衣装で興奮が極致に到達する。
こんな光景を見るのは初めてのことであり、ボランティアに当たっていても、気もそぞろになってしまうこともあった。
【忘れられぬ感激を残して】
このW杯はかつてない日韓の2国共同開催となった。両国とも少しずつの違和感も持ったが、「成功に向けた思い」を共有し、多くの人に感動を与えた。
私は、ボランティアとして参加したこの大会で様々な経験をし、様々な学びがあった。
そして「忘れられぬ感激」を味わうことができた。
